増えない投資信託、それでも売らなかった――私の投資の始まり

日常

2026年6月20日

父の日の前日に、大阪の実家へ

ジムでのパーソナルトレーニングは先週で終わりました。

そして今日は父の日の前日。妻と一緒に、私の実家がある大阪までドライブしてきました。

私は「父の日なんて、しらねー」というタチなのですが、妻がこういうことをきちんとやってくれるので、大変ありがたく思っています。

わが家は自家用車を持っていないため、大阪へ行くときは、いつもカーシェアで車を借りています。

ちなみに、ドライバーは妻です。

車とバイクに乗っていた頃の話

私は18歳で運転免許を取り、その直後くらいに、親に軽自動車を買ってもらいました。

その車には2年ほど乗り、20歳で社会人になって東京へ出る前に手放したと思います。

就職して東京へ行ってすぐの頃には、親からお金を借りて、Hondaのインテグラを買いました。

当時、「カッコインテグラ!」というキャッチフレーズで、マイケル・J・フォックスがCMに出演していた車です。

その車も3年ほどで手放し、その後は二輪の中型免許を取って、バイクに乗り換えました。

初めて買ったバイクは、HondaのNSR250R SEというレーサーレプリカタイプのバイクです。

乗っていて楽しいバイクでしたが、乾式クラッチの「カタカタカタ」という音がまあまあうるさく、長距離を走ると腰が痛くなるのもつらかったため、2年ほどでHondaのCB400 SUPER FOURに乗り換えました。

ところが、そのCB400も、いつだったか鈴鹿8耐を観戦しに行った際、宿泊していた旅館に停めていたところを盗まれてしまいました。

それっきりです。

それ以降は四輪も二輪も所有することなく、すっかりペーパードライバーになっています。

おかげで、免許証だけはゴールドです。

実家で過ごす、いつもの時間

実家へ行っても、特に何か特別なことをするわけではありません。

いつもお寿司などを買って持っていき、家で一緒に食べながら、他愛のない話をします。

そして2、3時間ほど過ごしたところで実家を後にする、というのがいつものパターンです。

今回も、そんな感じでした。

帰り道に「しゃぶ葉」へ

帰り道の途中では長浜に寄り、初めて「しゃぶ葉」へ行きました。

糖質制限は解除したものの、まだ完全にご飯や麺類を食べる生活には戻していません。

妻がそのことを気遣って、野菜とお肉を中心に食べられるしゃぶ葉へ誘ってくれました。

料金は一人3,000円ほど。

食べ放題なので、野菜やキノコ、豆腐、牛肉、豚肉を大量に食べることができ、久しぶりにお腹いっぱいになるまで食べました。

スイーツ類もありましたが、そちらは妻の担当です。

私の投資歴を振り返ってみる

ここから話は変わります。

ふと、自分の投資歴について振り返ってみようと思いました。

少し長くなりそうなので、この話は2、3回に分けて、デイトレやパチスロ以外の日の記事として書いていこうと思います。

私が株式投資を始めたのは、30代前半だったと思います。

インターネットが普及し、ネット証券が登場し始めた頃です。

最初に口座を開設したのは、現在もデイトレで使っている三菱UFJ eスマート証券でした。

当時は「カブドットコム証券」という名前でした。

「株の自動売買なら儲かる」と思った

株を始めるきっかけになったのは、『株の自動売買でラクラク儲ける方法』という本を買ったことです。

本の帯には、

「株に才能はいらない!」
「忙しいあなたも株で副収入ゲット!」

と書かれていました。

カブドットコム証券で利用できる、さまざまな自動売買機能やテクニックを紹介する本でした。

その後、大和証券にも口座を開設しました。

会社の近くに大和証券の店舗があったからだったのか、それとも「大手だから、なんだか頼りになりそう」と思ったからだったのか。

そのあたりのことは、もうよく覚えていません。

雑誌の注目銘柄を、なんとなく買っていた

証券口座を開設して、初めて買った株が何だったのかも、今となっては覚えていません。

銘柄選びには、『ダイヤモンドZAi』や『日経マネー』などの雑誌で紹介されていた情報を参考にしていたと思います。

証券会社のスクリーニングツールも使ってみましたが、いまひとつよく分からず、今になっても使いこなせていません。

当時は普通に会社員として働いていたため、デイトレはしていませんでした。

かといって、中長期で株を保有する考え方や戦略を理解していたわけでもありません。

雑誌で「注目株」として紹介されている銘柄の中から、自分なりに良さそうだと思うものを買い、

「値上がりした。売っちゃおう」
「値下がりした。どうしよう」
「戻るまで待とう……」

というような感じでした。

分からないまま信用取引や空売りも

eスマート証券に口座を開設した際、最初から信用取引にも申し込んでいたと思います。

そのため、空売りもやっていました。

ローソク足の意味やチャートの見方、ゴールデンクロスとデッドクロス、一目均衡表、RSI、RCI、MACD。

「なんだか、いろいろなグラフがあるのね」

PERやPBRといった指標や、財務諸表のどこを見るのかについても、

「こういうものがあるらしい」

という程度でした。

さまざまな用語や、その意味を、なんとなくしか理解していない状態でトレードしていたのです。

今になって考えると、本当にすべてが「なんとなく」だったように思います。

おそらく数百万円は負けている

そんな状態なので、たまに利益が出ることはあったものの、まあまあ頻繁に負けました。

当時記録していた資料をなくしてしまったため、正確な金額は分かりません。

ただ、おそらく200万〜300万円ほどは失っていると思います。

「こりゃダメだな」

そう思っていた頃、投資信託というものがあることを知りました。

「プロに運用を任せられるのね」

と理解した私は、投資信託を積み立てるようになりました。

当時の私は完全な素人で、そこから成長して株で勝てるようになるまでの道筋も、まったく見えていなかったのです。

名前の雰囲気だけで投資信託を選ぶ

どの投資信託を、どのような基準で選んだのかは、まったく覚えていません。

おそらく、名前を見て「なんか良さそう」という感じだけで選んでいたと思います。

信託報酬なども見ていませんでした。

積み立てていたのは証券会社の口座ではなく、メインバンクの口座です。

給料が振り込まれる銀行口座から自動的に積み立てられるので、便利でいいかなと思っていました。

「定期預金なんかより、よっぽど増えるでしょう」

そんな考えで、毎月3本の投資信託に合計7万円、ボーナス月には合計20万円を追加して積み立てていたと思います。

投資信託は、安定型のもの、高配当日本株のようなもの、TOPIXに連動するものの3本でした。

積み立てを始めたのは、33歳頃だったと思います。

増えない。とにかく増えない

ところが、まあ増えない、増えない……。

元本割れしている時期も何年もありました。

途中で積立額を減らしたり、積み立てを止めて別の投資信託を買ったりもしましたが、解約はしませんでした。

個別株でいうところの、塩漬け状態です。

今の私なら、投資信託を積み立てるのであれば、たとえ含み損の状態になっても、10年後、20年後の経済成長を信じて、淡々と積み立てを続けるという考えを持っています。

しかし当時は、そんな長期的な考え方を持っていたわけではありません。

個別株で含み損を抱えたときと同じように、

「ああ、どうしよう」
「ここで売ったら損失が確定してしまうし、もったいないなあ」

という感覚で、ただ売らずに持ち続けていただけでした。

今振り返ると、長期投資をしていたというより、損失を確定するのが嫌で、結果的に保有し続けていたという方が近かったと思います。

詳しい内容は忘れてしまいましたが、長期間にわたって元本割れが続いていた頃、投資信託を積み立てていた銀行から電話がかかってきたことがありました。

「元本割れの状態になっており、申し訳ありません」

というような話だったと思います。

リスクがあることを承知したうえで選び、買ったのは自分です。

それなのに、銀行の人が気を使ってくれるんだな、と思ったことを覚えています。

今回は、私が株式投資を知り、投資信託というものを知った頃のお話でした。

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